2008年03月19日

決戦!関ヶ原の戦い

DSCN2664.jpg時代を大きく区分する戦いが関ヶ原の合戦でしょう。藤堂高虎もこの地で大谷吉継(刑部)と死闘を演じています。大谷吉継は名将のほまれが高く、豊臣秀吉が存命の頃、我が代わりに采配を預けて戦をさせてみたい、とまで言わしめた男ですが、いかにも1千数百名の小勢なので最後にはすりつぶされるように消えて無くなりました。
(写真は石田三成の陣跡から見た関ヶ原)
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タグ:関ヶ原
posted by 高虎 at 18:13| 関ヶ原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奥州棚倉城

DSCN2493.jpg棚倉城の初代城主は丹羽長重です。藤堂高虎のおかげで大名に復活できた彼は一時期、この城を居城にしていました。在城期間が短かったためか、白河のような城は築いていません。城下町も白河よりは品(しな)が下がるようです。
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posted by 高虎 at 17:59| 福島県棚倉城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今に残る高虎築城の城、宇和島城

P5020198.jpg江戸時代以前の天守閣が保存されているのは日本でもわずか12城しかありません。最北が津軽藩の津軽城で最西南端が宇和島城です。
宇和島城は藤堂高虎が一時期、宇和島を統治していた時に築城して以来現在に至っています。高虎の遺産の一つといえるでしょう。
藤堂高虎という人は築城の名人と自他共に思われていたようで、宇和島城の他にも今治城、篠山城、津城、伊賀上野城(完成後直ぐに棄却)、膳所城なども築いています。
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タグ:宇和島 城郭
posted by 高虎 at 17:49| 愛媛県宇和島城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津の繁栄の礎

PB290114.jpg「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ。尾張名古屋は城で持つ」という言葉があります。名古屋の城を中心に取り上げることが多いですが、伊勢の津の殷賑と名古屋の城の軽重が釣り合っているという意味で、いかに伊勢の津が繁栄していたかが分かる言葉でもあります。(写真は津城内の藤堂高虎像)
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posted by 高虎 at 17:31| 三重県津城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

白河白峰城で思う藤堂高虎

PB130049.jpg丹羽長秀の息子が藤堂高虎の養子だったことがある。幼名を仙丸といって長秀の4男だった。この子は元々は豊臣秀吉の実弟の大和大納言秀長の養子だった人で、秀吉が何を思ったのか格下げとも言える高虎への養子に変えてしまった経緯がある。
(写真は福島県白河市の白峰城)
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タグ:白河 白峰城
posted by 高虎 at 17:13| 福島県白河城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

藤堂高虎に持っていた悪いイメージ

DSCN2707.jpg藤堂高虎(とうどう たかとら)は司馬遼太郎氏の著作、特に坂本竜馬をえがいた『竜馬が行く』の冒頭で、「土佐には関ヶ原無念話があり、郷士の主家の長曽我部家を直接取りつぶした徳川家を表立って恨むわけにはいかないので、徳川家の代わりに藤堂家を恨むようになった」と出てくる。
氏の作品には土佐ものが多く、それだけに藤堂家はろくな書かれ方をしていない。藤堂高虎などは大名の成をした徳川家康の間諜の様に描かれている。
わたしもずっとこのイメージを持ち続けていた。
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タグ:琵琶湖
posted by 高虎 at 14:46| 生まれ故郷の琵琶湖畔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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