時代を大きく区分する戦いが関ヶ原の合戦でしょう。藤堂高虎もこの地で大谷吉継(刑部)と死闘を演じています。大谷吉継は名将のほまれが高く、豊臣秀吉が存命の頃、我が代わりに采配を預けて戦をさせてみたい、とまで言わしめた男ですが、いかにも1千数百名の小勢なので最後にはすりつぶされるように消えて無くなりました。(写真は石田三成の陣跡から見た関ヶ原)
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丹羽長秀の息子が藤堂高虎の養子だったことがある。幼名を仙丸といって長秀の4男だった。この子は元々は豊臣秀吉の実弟の大和大納言秀長の養子だった人で、秀吉が何を思ったのか格下げとも言える高虎への養子に変えてしまった経緯がある。